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テナーサックス3管でアンサンブル。
満員御礼
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秋ですねえ。
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19年前の今日、BEACH葉山は産声をあげました。
本日、19周年を迎え、20年目に入ります。
ここまで長く続けてこられたのは、BEACH葉山を愛し、支えてくださった皆様のおかげです。心より感謝申し上げます。
19年前、「健康と笑顔を皆さんに届けたい」「海でしか働きたくない人たちに、きちんとした仕事をつくりたい」。そんな想いから、BEACH葉山を立ち上げました。
駅もない。
プールもない。
トレーニングマシンもない。あるのは、海と山と、この土地の自然だけでした。
今でこそアウトドアフィットネスという言葉も珍しくなくなりましたが、当時はまだ、そのような場所はほとんどありませんでした。
自然そのものをフィールドにして、人が健康になり、笑顔になり、そして人と人がつながっていく。
そんな場所をつくりたいと思い、日本初のアウトドアフィットネスクラブとしてスタートしました。
もちろん、最初から順調だったわけではありません。
軌道に乗るまでには、たくさんの苦労がありました。悩んだことも、迷ったことも、うまくいかなかったことも数え切れません。
それでも、今振り返ると、それすら楽しい思い出になっています。
19年という時間が経ち、立ち上げ当時のことを知っている人も、ずいぶん少なくなりました。
自分自身、「19年も続けてきて、この程度しかできなかったのか」と思うことがあります。
もっと上手にできたかもしれない。
もっと大きくできたかもしれない。
もっと格好良くできたかもしれない。それでも、この場所で過ごした時間が、誰かの人生に少しでも良い影響を与えることができたのなら、それだけで意味があったのだと思っています。
この美しい海や山に癒された人。
ここで新しい仲間に出会った人。
初めて海に出た人。
身体を動かす楽しさを知った人。
そして、人生そのものが少し変わった人。
「BEACH葉山のおかげで人生が変わりました」
これまで何度か、そんな言葉をいただいたことがあります。
この言葉以上に嬉しいものはありません。
BEACH葉山は、単なるフィットネスクラブではなく、誰かにとっての居場所であり、人生の一部であり続けたいと思っています。
もっと器用に運営することもできたのかもしれません。
もっと効率を優先する方法もあったのかもしれません。
それでも私たちは、この土地の自然と、人と人とのつながりを大切にしながら、不器用でも信じた道を歩んできました。
そして今日から20年目です。
19年前と比べれば、時代も、社会も、人々の価値観も大きく変わりました。
BEACH葉山自身も、変わらなくてはいけないところは、これからも変えていきます。
でも、変えてはいけないものもあります。
自然を大切にすること。
人を大切にすること。
健康と笑顔を届けること。
そして、この場所に来てくださった一人ひとりにとって、少しでも人生が豊かになる場所であること。
それだけは、これからも変えずにいたいと思います。
20年目。
そして、その先へ。
これからも改善を重ねながら、1日でも長く、この美しい葉山の地でBEACH葉山を続けていきたいと心から願っています。
19年間、BEACH葉山に関わってくださったすべての皆様に、改めて心より御礼申し上げます。
そして20年目のBEACH葉山も、どうぞよろしくお願いいたします。
変わらないものを大切に、これからも葉山の海とともに。
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自分の家の裏庭の山が崩れました。
いやいや。
長雨は嫌ですね。
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これからの季節、ぜひおすすめしたいのが朝の海です。
少しだけ早く起きて、海まで歩いてみる。
夏の頃より空気がひんやりしていて、まだ町も完全には目を覚ましていない。
浜辺に出ると、海が静かに広がっています。
朝の光はとても不思議です。
同じ場所なのに、昼間とはまったく違って見える。
遠くに江の島が見え、その向こうに富士山が姿を見せる日もある。
そんな朝に出会うと、それだけで少し得をした気分になります。
軽く身体を動かすのもいい。
浜辺を歩くのもいい。
海に出るのもいい。
そして帰ってから、ゆっくり朝ごはんを食べる。
それだけで一日の始まり方がずいぶん変わります。
特別な旅行に出かけなくても、日常のすぐそばに自然がある。
BEACH葉山がずっと大切にしてきたのも、そんな暮らし方です。
海をイベントにするのではなく、生活の中に海を入れる。
朝の葉山には、そのヒントがたくさんあります。
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夏の葉山は華やかです。
たくさんの人が訪れ、町が一年でいちばん賑やかになります。
それも葉山の大切な風景です。
でも、夏が終わると、町は少しずついつもの速度に戻っていきます。
浜辺を犬と歩く人。
海を見ながら話している人。
SUPで静かに沖へ向かう人。
ランニングをする人。
いつもの葉山の暮らしが戻ってきます。
私たちは、この季節が好きです。
海が生活の一部に戻ってくるからです。
夏の海は、みんなの海。
秋から冬にかけての海は、少しだけ自分の海になる。
そんな感じがします。
夕方、海岸に立つと、日が沈む場所も少しずつ変わっていきます。
空の色も夏とは違います。
オレンジから紫へ。
そして少しずつ夜になっていく。
その時間を、ただ眺める。
それだけでも十分です。
海は夏のためだけにあるものではありません。
むしろ、海と長く付き合っていくなら、これからの季節を知ってほしいと思います。
静かで、きれいで、少しだけ大人っぽい葉山の海。
今年の秋は、夏とは違う海を楽しんでみませんか。
BEACH葉山で、お待ちしています。
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自分が産まれた病院にお見舞いに行く。
ちょっと不思議な気分。
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「海に行くのは夏」
そんなイメージがあります。
確かに真夏の海は楽しい。
太陽が高く、砂浜にはたくさんの人がいて、葉山の町全体が少し浮き足立っているような季節です。
でも、夏が終わる頃から葉山の海は少しずつ表情を変えていきます。
空気が澄み、空の青が深くなる。
そして海の色も、少しずつ透明感を増していきます。
条件のいい朝には、水の中まで驚くほどよく見える日があります。
海岸を歩きながら水面を見るだけでも、
「ああ、きれいだな」
と立ち止まってしまう。
そんな瞬間が増えてきます。
真夏のような強烈な暑さもない。
人も少ない。
だから、海そのものと向き合える時間が長くなります。
海は一年中そこにあります。
季節ごとに色が変わり、風が変わり、波が変わる。
毎日同じように見えて、実は毎日違います。
BEACH葉山では、そんな変化も含めて海を楽しんでもらえたらと思っています。
夏が終わったからといって、海から離れてしまうのは少しもったいない。
海が美しくなっていく季節は、これからです。
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9月になり、葉山の海から少しずつ夏の賑わいが消えていきます。
海の家が片づき、浜辺を歩く人も少なくなり、ついこの前まで聞こえていた子どもたちの声や、海水浴を楽しむ人たちの笑い声も、少し遠い記憶のようになってきました。
夏が終わると、海も終わり。
そう思っている人もいるかもしれません。
でも、葉山で日々海を見ていると、むしろここからが海のいい季節だと思います。
朝、浜辺に出る。
夏にはたくさんの足跡がついていた砂浜が、きれいにならされている。
聞こえるのは波の音と、鳥の声。
少し涼しくなった風の中を、ゆっくり歩いているだけで気持ちがいい。
何か特別なことをしなくてもいいのです。
SUPをしてもいいし、泳いでもいい。
ただ海を眺めているだけでもいい。
夏の海には夏の楽しさがあります。
でも、静けさを取り戻した海には、また違った魅力があります。
BEACH葉山が本当におすすめしたい海の時間は、もしかするとこれからなのかもしれません。
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少し早い秋を感じました。
松茸です。
夏が終わるのは寂しい。
でも、
松茸が出てくるとなると、
話は少し変わってきます。香りを楽しみながら、
「ああ、秋だなあ」
と思います。
海ではまだ夏。
食卓では秋。
季節の境目というのは、
なかなか贅沢です。夏よ、もう少し。
秋よ、そろそろ。
今はそんな気分です。
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「海の恵み」
という言葉を実感します。
海は遊ぶ場所でもあり、
眺める場所でもあり、
食べ物を与えてくれる場所でもあります。
SUPで海へ出ている時には、
あまり食べ物のことは考えませんが、夜になると話は別です。
昼は海で遊び、
夜は海のものを食べる。
かなり都合よく、
海のお世話になっています。感謝しなければいけません。
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こちらは生のタコ。
茹でたタコとは、
まったく違います。柔らかいようで、
ちゃんと歯ごたえがある。噛むほど甘い。
ネギと胡麻と一緒に食べると、
箸が止まりません。タコは、
刺身でも、
茹でても、
焼いても、
揚げてもおいしい。かなりの万能選手です。
しかも足が8本。
こちらは2本しかないのに、
最近すぐ疲れます。完敗です。
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鮑をいただきました。
しかも、
なかなか立派です。刺身で。
コリコリ。
噛めば噛むほど、
磯の香りと甘みが出てきます。海のものを食べながら、
海の近くで暮らしている幸せを感じます。しかし鮑というものは、
見た目はかなり無骨なのに、食べると上品。
人間も、
そうありたいものです。……なかなか難しいですが。
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葉山の夏は、
始まる前は長そうに感じます。でも、
始まってしまうとあっという間です。朝の海。
強烈な日差し。
夕暮れ。
潮の匂い。
海から上がったあとのビール。
毎年同じような夏なのですが、
一度として同じ夏はありません。夏が終わるのは、
やはり少し寂しい。でも葉山の海は、
秋になるとまた違う顔を見せてくれます。夏が終わるというより、
次の季節が始まる。
そう考えることにします。
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9月になりました。
カレンダーが一枚変わっただけなのに、
海の雰囲気も少し変わった気がします。真夏のような暑さはまだ残っていますが、
夕方の風には、
ほんの少し秋の匂い。あれだけ暑い暑いと言っていたのに、
夏が終わりそうになると、
なぜか少し寂しくなります。人間というのは勝手なものです。
まだ海には入れます。
もう少しだけ、
今年の夏を楽しませてもらいます。 -
暦の上では、という言い方をすれば、もう秋なのだろう。けれど、「今日から秋です」と言われても、「はい、そうですか」とはなかなかならない。
外に出れば、まだ暑い。日差しには十分すぎるほど力があるし、葉山の海を見れば、夏はまだそこにいる。Tシャツに短パン、サンダルで歩いている人もいる。海の家がなくなったからといって、夏まで一緒に撤収してくれるわけではない。
ただ、よく見ると少しだけ違う。
夕方が早くなった。風の中に、ほんの少し乾いた感じが混じるようになった。蝉の声も、7月の頃ほど自信満々ではない。
夏が「では失礼します」と突然いなくなるのではなく、少しずつ荷物をまとめ始めている。
音楽を聴きながら夜風にあたっていると、夏と秋の境目に座っているような気がした。昼間はまだ夏なのに、夜になると少しだけ秋が顔を出す。
たぶん季節というものは、カレンダーほど几帳面ではない。
9月1日だから秋になるわけでもないし、8月31日までが夏だったわけでもない。
夏と秋がしばらく同じ場所にいる。
その曖昧な時間が、私はけっこう好きだ。
夏の終わりは、春の終わりより少し切ない。夏には海があり、祭りがあり、花火があり、旅があり、長い夕暮れがある。それが少しずつ遠ざかっていく。
楽しかったものほど、終わり際が寂しい。
だから9月1日は、「今日から秋」という日ではなく、「夏が少しずつ思い出になり始める日」なのかもしれない。
葉山の海には、まだ夏が残っている。
もう少しだけ、いてもらおうと思う。
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この夏の終わり、長野へ行き、松本城を見て、山の風景に包まれ、信州そばをいただき、初物の松茸を味わった。
そして葉山に戻って、森戸海岸のオアシスでライブを楽しんだ。
こうして並べてみると、ずいぶんいろいろなものを受け取った夏だった気がする。夏という季節は、楽しい。
でも本当に心に残るのは、もしかすると終わり際なのかもしれない。
少し涼しくなってきて、夕方が早くなって、にぎやかだったものが少しずつ静かになる。
その時、人はようやく季節をちゃんと感じるのだと思う。切ない、という感情は、悪いものではない。
大切だった時間が過ぎていくからこそ生まれる感情であり、裏を返せば、それだけちゃんと生きていたということでもある。
夏の終わりが少し切ないのは、きっと悪くない。BEACH Hayamaは、海のそばにある。
だからこそ、季節の移ろいには敏感でいたいと思う。
山へ出かけたことも、松本城の美しさに見とれたことも、初物の松茸に小さく感動したことも、ライブの音が胸にしみたことも、どれもこの季節の一部だった。また次の季節が来る。
でも、この夏の終わりの光や風や香りは、今年だけのものだ。
だから少しだけ立ち止まって、名残を味わっていたい。
そんなふうに思う、8月の終わりである。 -
長野から戻って、葉山の空気を吸う。
すると、山とは違う湿り気と、やわらかな海の匂いがあって、「ああ、帰ってきたな」と思う。
旅から戻ると、自分のいる場所の良さがあらためて見えてくる。海はまだ夏の顔をしていた。
けれど、ずっと見ていると、やはり少しだけ違う。
陽射しの角度、夕方の風、日の暮れ方。
盛夏のころの無邪気さが少し引いて、景色に陰影が出てくる。
夏が去る前に見せる、最後のきれいさなのかもしれない。旅先で見た山の静けさと、葉山の海の開放感。
どちらも良くて、どちらも今の自分には必要なのだと思う。
山では自分の内側に向かい、海では外へ向かって呼吸ができる。
その両方があって、ようやくバランスが取れる気がする。森と海岸のオアシスで音楽を聴いた夜もそうだった。
旅の余韻と、海辺の夜風と、夏の終わりの気配。
それらが混ざり合って、妙に心に残る時間になった。
何か大事件があったわけではない。
でも、こういう小さな時間の積み重ねが、結局その季節の記憶になるのだろう。 -
長野から戻ったあと、森と海岸のオアシスでライブを楽しんだ。
葉山には、こういう時間が似合う。
大きな会場ではなく、もっと人の温度がわかるような場所で、音楽が鳴る。
それだけで一日が少し豊かになる。夏の終わりのライブは、どこか特別だ。
真夏の勢いとは違う。少しだけ風がやわらぎ、夜に余白ができる。
その余白に音が入ってくると、胸の奥にすっとしみてくる。
楽しいのに、少し切ない。
笑っているのに、なぜか帰り道のことまで想像してしまう。
そんな夜がある。森戸海岸のオアシスという名前も、いい。
葉山らしくて、少し夢があって、でもちゃんと地に足がついている。
音楽を聴きながら、旅の余韻がまだ身体に残っているのを感じた。
長野の山の景色と、葉山の海辺の空気が、心の中で不思議につながる。
遠くへ行って、戻ってきて、またここで音楽を聴く。
その流れが、とても自然に思えた。ライブというのは、その日その時にしかない。
同じ曲でも、同じメンバーでも、同じにはならない。
だからこそ、季節と結びつくのだと思う。
あの夜の音は、たぶん来年の夏の終わりにも、ふと思い出すだろう。