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雨の日の葉山は、少し静かです。
海の色は深くなり、
山の緑はいつもより濃く見えます。晴れた日のような華やかさはありません。
けれど、雨の日には、雨の日の美しさがあります。
窓の外に、細い雨が降っている。
遠くで波の音がしている。
木々の葉が、雨を受けて少し重そうに揺れている。
そんな日は、無理に外へ出なくてもいいのだと思います。
アウトドアフィットネスというと、
どうしても青空の下で身体を動かすイメージがあります。海へ出る。
山へ入る。
風を受ける。
汗をかく。
もちろん、それは大きな魅力です。
でも、自然と付き合うということは、
晴れた日だけを選ぶことではありません。雨の日には、雨の日の過ごし方があります。
スタジオで、ゆっくり身体を伸ばす。
呼吸を整える。
肩の力を抜く。
背中のこわばりに気づく。
足裏で床を感じる。
外へ出られない日だからこそ、
身体の内側に耳を澄ませることができます。雨音は、不思議と呼吸を静かにしてくれます。
急がなくていい。
遠くまで行かなくていい。
今日は、深く動く日ではなく、
深く戻る日。そんなふうに思うと、
雨の日のフィットネスも、少し豊かなものになります。身体を動かしたあとは、
カフェで温かいものをいただく。栄養バランスに配慮された食事が、
雨の日の身体にやさしく届きます。湯気の立つスープ。
温かい飲み物。
ひと口ごとに、
冷えた身体の奥へ、静かに明かりが灯るような気がします。雨の日のBEACHには、
晴れた日とは違う時間が流れています。大きく動く日ではなく、
小さく整える日。遠くへ向かう日ではなく、
自分の身体へ戻る日。外の景色は少し霞んでいるのに、
自分の内側は、かえってはっきりしてくることがあります。雨は、予定を変えます。
けれど、時間を奪うわけではありません。
むしろ、立ち止まる理由をくれることがあります。
海へ出られない日。
山へ入らない日。
それでも、身体を整えることはできます。
それでも、葉山の自然を感じることはできます。
窓の外の雨。
湿った緑の匂い。
遠くの波の音。
床の上の呼吸。
温かい食事。
その全部が、雨の日のフィットネスになります。
晴れの日には、晴れの日の身体がある。
雨の日には、雨の日の身体がある。
その日を無理に変えようとせず、
その日の自然に合わせて、自分の身体を整えていく。それもまた、BEACHのアウトドアフィットネスです。
雨の日の葉山は、静かです。
でも、何もないわけではありません。
静かな日にしか聞こえない音があり、
静かな日にしか戻ってこない感覚があります。雨の日は、身体を休ませる日ではなく、
身体の声を少し丁寧に聞く日なのかもしれません。 -
スタジオへ入る。
外には海があり、山があり、風があります。
葉山にいると、どうしても外へ出たくなります。
けれど、自然はいつも、こちらの都合に合わせてくれるわけではありません。
雨の日があります。
風の強い日があります。
夏には、外に出るには暑すぎる日もあります。
そんな日に、無理をして外へ出る必要はありません。
自然を楽しむことと、自然に逆らうことは違います。
BEACHのスタジオは、そんな日のためにもあります。
雨音を聞きながら、床の上で身体を伸ばす。
強い日差しを少し避けて、呼吸を整える。
外へ出られない日にも、身体の感覚を失わないようにする。
それは、アウトドアフィットネスの中にある、とても大切な室内の時間です。
スタジオは、外の自然と切り離された場所ではありません。
むしろ、海へ出るために。
山へ入るために。
風の中で、自分の身体をきちんと使うために。
一度、静かに身体と向き合う場所です。
床に座る。
呼吸をする。
背骨の長さを感じる。
肩の力を抜く。
足裏の感覚を確かめる。
それだけで、さっきまで少し遠くにあった身体が、
自分のところへ戻ってくるような気がします。普段の生活では、身体はずいぶん頑張っています。
長く座る。
急いで歩く。
スマートフォンを見る。
考えごとをする。
気づかないうちに、肩は上がり、
背中は丸くなり、
呼吸は浅くなっています。そのまま海へ出ても、
そのまま山へ入っても、
身体はどこか急いだままです。だから、整える。
強くする前に、整える。
走る前に、呼吸を戻す。
鍛える前に、姿勢を思い出す。
それは、とても大切な準備です。
BEACHのスタジオでの時間は、
ただ汗をかくためだけのものではありません。身体の声を聞く時間です。
今日はどこが重いのか。
どこに力が入っているのか。
どこが眠っているのか。
どこに少し風を通したいのか。
静かに動いているうちに、
身体の中に細い明かりが灯るような瞬間があります。硬かった背中が少しほどける。
浅かった呼吸が少し深くなる。
足裏が床を感じ始める。
目線が少し遠くなる。
そして、天気のいい日には、スタジオを出る。
ドアの向こうに、葉山の空気があります。
海の匂いがあります。
山の緑があります。
さっきまで整えていた身体に、
外の風がすっと入ってくる。その瞬間、
室内と屋外が、ひとつにつながるような感じがします。スタジオで整えた身体で海を見ると、
海の見え方が少し変わります。スタジオで呼吸を深くしたあとに山へ入ると、
一歩目の感覚が少し違います。身体が整うと、
景色の受け取り方まで変わるのかもしれません。アウトドアフィットネスは、外だけで完結するものではありません。
外で動く日がある。
内で整える日がある。
雨の日には、雨の日の身体の向き合い方がある。
暑すぎる日には、暑すぎる日の無理をしない選択があります。
そのどれもが、自然と長く付き合うための知恵です。
BEACHのスタジオは、
外へ出る前の静かな入口です。そして、外へ出られない日にも、
身体とのつながりを途切れさせない場所です。海へ。
山へ。
風の中へ。
その前に、少しだけ自分の身体へ。
そこから始まるフィットネスがあります。
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ノルディックウォーキング。
名前だけ聞くと、少し特別な運動のように感じるかもしれません。
けれど、ポールを持って歩き始めると、
それは思っているよりも自然な動きです。海沿いを歩く。
木陰の道を進む。
少し坂を上る。
風の通る葉山の道を、
自分の呼吸に合わせて進んでいく。ただ歩くだけとは、少し違います。
ポールが地面に触れる。
その小さな音が、
歩くリズムを整えてくれます。足だけではなく、
腕も、肩も、背中も、
少しずつ動き始めます。気づかないうちに、姿勢が起きる。
胸が開く。
目線が少し遠くなる。
呼吸が深くなる。
ノルディックウォーキングは、
見た目はとても穏やかです。けれど実は、
普通に歩くよりも多くの筋肉を使います。ポールを使うことで上半身も自然に動き、
消費カロリーは通常のウォーキングより
30%以上増えるとも言われています。それでいて、
ポールが身体を支えてくれるため、
足腰への負担は軽くなります。しっかり動けるのに、
無理をしすぎない。この加減が、とてもいいのです。
ノルディックウォーキングの面白さは、
「頑張って鍛えている」という感覚が強すぎないところにあります。ただ景色の中を歩いている。
ただポールのリズムに身を任せている。
ただ風を受けながら、前へ進んでいる。
そのあいだに、
身体は思っている以上に働いています。足裏で地面を感じる。
ふくらはぎが支える。
股関節が動く。
背中が伸びる。
腕が前へ後ろへと流れる。
体幹が、静かに姿勢を保っている。
葉山の道は、ノルディックウォーキングによく合います。
海が見える道があります。
緑の匂いがする道があります。
少し息が上がる坂があります。
立ち止まりたくなる景色があります。
速く歩くことだけが目的ではありません。
遠くまで行くことだけが目的でもありません。
その日の身体に合わせて、
その日の風に合わせて、
一歩ずつリズムをつくっていく。そこに、アウトドアフィットネスの深さがあります。
ポールを持つと、
歩くことが少しだけ丁寧になります。足を置く場所。
腕の振り。
背中の角度。
呼吸の深さ。
普段は通り過ぎてしまう身体の感覚に、
少しずつ意識が戻っていきます。そして、ふと顔を上げると、海が見える。
さっきまで身体の内側を感じていたのに、
次の瞬間には、目の前に葉山の景色が広がっている。内側と外側が、ゆっくりつながっていく感じがあります。
汗をかく。
でも、追い込まれた汗ではありません。
身体の中に滞っていたものが、
少しずつ流れ出していくような汗です。歩き終えたあと、
肩が少し軽い。背中が少し伸びている。
呼吸が少し深い。
そして、お腹がちゃんと空いている。
それは、身体がきちんと動いた証拠です。
ノルディックウォーキングは、
ただの散歩ではありません。でも、難しすぎる運動でもありません。
葉山の海と山のあいだで、
自分の身体を、もう一度気持ちよく使い直す時間です。ポールの音。
風の匂い。
海の光。
背中に残る、心地よい疲れ。
その全部が、
BEACHのアウトドアフィットネスのひとつです。 -
晴れた日の葉山は、美しい。
海は光り、
空は広く、
山の緑もくっきりと見える。
外で身体を動かすには、申し分のない日です。
けれど、アウトドアフィットネスの魅力は、
晴れた日だけにあるわけではありません。
曇りの日には、曇りの日の葉山があります。
光がやわらかくなり、
海の色は少し深くなり、
山の緑は、いつもより静かに見えます。
風の強い日には、
風の強い日の身体の使い方があります。
前へ進むのに少し力がいる。
呼吸の向きも変わる。
髪は乱れます。
帽子も少し危険です。
けれど、そのぶん、
自分の身体が自然の中にいることを、はっきりと思い出します。
小雨の前の空気にも、独特の匂いがあります。
湿った土の匂い。
濃くなる葉の匂い。
波の音が、少し近く聞こえる時間。
そんな日は、無理に遠くへ行かなくてもいい。
海を眺めながら身体を伸ばす。
山の入口まで歩く。
スタジオで整えてから、少しだけ外の空気を吸う。
それだけで、今日の身体は十分に変わります。
自然は、いつも同じ顔をしていません。
だから、こちらの身体も、いつも同じではいられません。
暑い日には、暑い日の動き方。
寒い日には、寒い日の呼吸。
湿った日には、湿った日の重さ。
風の日には、風の日の軸。
その日の空と、
その日の海と、
その日の山に合わせながら、
自分の身体の声を聞いていく。
そこに、アウトドアフィットネスの深さがあります。
室内なら、環境は整えられます。
温度も、明るさも、床の状態も、
だいたい一定です。
それはそれで、とてもありがたいことです。
でも、外には外の学びがあります。
思い通りにならないものの中で、
自分の身体をどう整えるか。
その日をどう受け止めるか。
自然の中で動くということは、
少しだけ、天気と仲良くなることでもあります。
晴れの日には、晴れの日の喜びを。
曇りの日には、曇りの日の静けさを。
風の日には、風の日の強さを。
小雨の前には、小雨の前の匂いを。
葉山のアウトドアフィットネスは、
天気を選ぶ時間ではなく、
天気ごと味わう時間です。
そして、終わったあとに飲む温かいものは、
晴れの日より、曇りの日の方が、
少しだけ心にしみることがあります。
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海で身体を動かす。
山を歩く。
風を受ける。
汗をかく。
戻ってきた身体は、少し静かになっています。
さっきまで波を見ていた目。
木々の間を歩いていた足。
風の中で呼吸していた胸。
その身体で食べるものは、いつもより少し深く届きます。
BEACHのカフェには、運動のあとの身体に寄り添う食事があります。
栄養バランスに配慮されているのに、どこかやさしい。
身体にいいものを食べている、というより、
身体が喜ぶものを、自然に受け取っている感じがします。
野菜の甘み。
温かいスープの湯気。
ちょうどいい塩気。
コーヒーの香り。
ひと口ごとに、海や山でほどけた感覚が、もう一度身体の中に戻っていきます。
空腹は、ただお腹が減ることではないのかもしれません。
身体が、今日の時間を受け取る準備をしている。
そんなふうにも思います。
海から戻った人には、少し潮の気配がある。
山から戻った人には、少し土の記憶がある。
スタジオで身体を整えた人には、来たときよりも静かな呼吸がある。
その人たちが、同じ場所で食事をする。
それだけで、カフェの時間が少し豊かになります。
食べることは、運動の終わりではありません。
むしろ、その続きです。
身体を動かし、
景色を見て、
風を浴び、
少し疲れて、
そして、美味しく食べる。
その流れの中で、身体はゆっくり整っていきます。
BEACHのカフェが美味しいと言われるのは、
味だけではないのかもしれません。
その前に見た海。
その前に歩いた山。
その前にかいた汗。
その前に深くなった呼吸。
それらが、ひと皿の味を少し変えている。
葉山で食べるということは、
景色ごと、身体に入れることなのかもしれません。
運動のあとの一杯。
山を歩いたあとのひと皿。
風に吹かれたあとの、温かい味。
それはご褒美であり、
回復であり、
今日の身体への、静かな手紙のようなものです。
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海の上へ。
葉山にいると、海はいつも近くにあります。
けれど、浜から眺める海と、実際に海の上へ出る海は、まるで違います。
SUPでもいい。
カヤックでもいい。
ボードや艇に乗って、岸から少し離れる。
それだけで、見慣れた景色が少し遠くなります。
足元は、静かに揺れています。
風は、思ったより正直です。
波は、こちらの都合など、あまり聞いてくれません。
だからこそ、身体はすぐに目を覚まします。
まっすぐ立つ。
ゆっくり漕ぐ。
少し先の水面を見る。
力を入れすぎると、かえって不安定になる。
焦ると、余計に揺れる。
海の上では、身体の力みがすぐにわかります。
けれど、不思議なことに、
それはあまり「鍛えている」という感じがしません。
歯を食いしばっているわけでもない。
回数を数えているわけでもない。
鏡の前でフォームを確認しているわけでもない。
ただ、波に揺られている。
ただ、風を感じている。
ただ、少し先の水面へ向かって漕いでいる。
そのあいだに、足裏が働いている。
膝が小さく反応している。
腰が揺れを受け止めている。
お腹の奥の筋肉が、静かに身体を支えている。
気づかないうちに、体幹が使われている。
それが、海の上の面白さです。
鍛えているつもりはないのに、
身体の中心だけが、黙って働き続けている。
少しでも油断すると、ぐらりと揺れる。
慌てると、また揺れる。
でも、呼吸を整えると、少し落ち着く。
身体の真ん中に、細い線が一本通るような感覚があります。
その線を探しながら、波の上にいる。
海の上でのフィットネスは、
筋肉をいじめる時間ではなく、
身体の中心を思い出す時間なのかもしれません。
ふと顔を上げると、葉山の町が見えます。
山が見えます。
海岸が見えます。
いつもいる場所を、海の方から眺めている。
同じ葉山なのに、立つ場所が変わるだけで、景色はまるで違います。
少し漕いで、少し休む。
波に揺られながら、空を見る。
水面に光が落ちている。
遠くに鳥が飛んでいる。
運動しているはずなのに、どこか静かな時間でもあります。
でも、岸に戻るころには、
腕も、脚も、背中も、
そして身体の奥の方も、
ちゃんと目を覚ましています。
ただ遊んでいたようで、
ただ海の上にいただけのようで、
実は身体は、ずっと働いていた。
それに気づくのは、戻ってきたあとかもしれません。
少し心地よい疲れがある。
でも、嫌な疲れではありません。
海に整えられたような疲れです。
海を眺めるだけでは届かない場所があります。
海に出て、
波と風の中で身体を預け、
自分の中心を探していく。
そこに、葉山のアウトドアフィットネスの深さがあります。
BEACHは、海を背景にする場所ではありません。
海そのものを、身体で感じる場所です。
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山へ
葉山というと、どうしても海の町という印象が強い。
けれど、少し視線を上げると、そこには山がある。
仙元山。
その名前を聞くだけで、少し足が動き出す人もいるかもしれません。
海の光を背中に受けながら、木々の中へ入っていく。
その瞬間、葉山の表情が変わります。
波の音が遠くなり、
足元の土の感触が近くなる。
木の根を避ける一歩。
落ち葉を踏む音。
少し湿った緑の匂い。
山の中では、身体が勝手にいろいろなことを思い出していきます。
平らな道では使わない足首。
登りで目を覚ます太もも。
下りで静かに働き続ける体幹。
そして、呼吸。
トレイルランには、ちょうどいい山があります。
速すぎなくていい。
長すぎなくていい。
でも、油断するとちゃんと息が上がる。
葉山の山は、やさしい顔をしながら、身体にはわりと正直です。
BEACHには、BMTで登れる山もあります。
ただ筋力をつけるためだけではなく、
自分の足で登り、
自分の呼吸で進み、
自分の身体で景色にたどり着く。
そういう時間です。
山頂に着くと、海が見えます。
さっきまで近くにあった海が、
今度は少し遠くから、静かに広がっている。
葉山の町があり、
森があり、
その向こうに海がある。
同じ海なのに、下から見る海と、山の上から見る海は、まるで違います。
身体を使って登ったあとに見る海は、
ただ眺める景色ではありません。
少し息が上がっている。
脚も少し疲れている。
でも、なぜか気持ちは軽い。
山の上で風を受けると、
自分の中に溜まっていたものが、
少しだけ遠くへ流れていくような気がします。
海のある町で、
山を登る。
山の上から、
海を眺める。
その往復の中に、葉山のアウトドアフィットネスの豊かさがあります。
BEACHは、建物の中だけで完結する場所ではありません。
海へ出る。
山へ入る。
風を受ける。
汗をかく。
そして、ときどき立ち止まって、景色に黙る。
その全部が、ここでのフィットネスです。
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まだ人の少ない時間の葉山は、少しだけ得をした気分になります。
波の音を聞きながら身体を動かすと、昨日まで体に残っていた余計なものが、少しずつ抜けていくような気がします。
ストレッチをして、深呼吸をして、空を見上げる。
ただ気持ちがいいだけではありません。
風の向きや、足元の感覚や、呼吸の深さに意識を向けていると、身体が少しずつ今の自分に戻っていくのがわかります。
自然の中で身体を動かすことは、楽なことばかりではありません。
暑い日もあります。
風が強い日もあります。
思ったより身体が重い日もあります。
でも、その日の自然と、その日の自分の身体に合わせながら動いていく時間には、室内だけでは得られない深さがあります。
BEACHのアウトドアフィットネスは、ただ汗をかくための時間ではありません。
海や山の中で、自分の身体をもう一度感じ直す時間です。
ジムの鏡もいいけれど、葉山の海の前では、フォームだけではなく、呼吸や姿勢や気持ちまで、少しずつ整っていきます。
終わったあとのコーヒーが、いつもより美味しい。
たぶん運動したからです。
そしてたぶん、葉山の朝の空気も、少しだけ入っているからです。
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先週今週と、日中はデスクワークです。
缶詰。体はバキバキです。
ストレッチしています。
あとは、購入したレコードを聴いています。
最近はトロンボーンにハマっています。
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渋谷 BODY & SOUL へ。大槻“KALTA”英宣さん dsクリヤ・マコトさん pf納浩一さん bs太田剣さん asModern Jazz / Standard / Original日本のジャズを、長い時間、静かに、そして力強く支えてきたこの名店も、9月に幕を下ろします。この夜、メンバーから京子ママへ花束が贈られる場面がありました。その花束は、単なるお祝いではなく、長い時間この場所を守り続けてきた方への、深い敬意と感謝のように見えました。その光景を見ていたら、胸の奥に、いろいろな時間が込み上げてきました。私が初めて BODY & SOUL を訪れたのは、90年代初頭の六本木時代でした。あれから、ずいぶんと時間が流れました。六本木、青山、そして渋谷。街は変わり、時代も変わり、音楽を聴く環境も大きく変わりました。それでも、この店には、いつも変わらず「ジャズが生きている」という空気がありました。京子ママが守り続けてくださったこの場所で、どれほど多くの音楽が生まれ、どれほど多くの人が励まされ、どれほど多くのミュージシャンが輝いてきたのだろうと思います。長い間、本当にありがとうございました。さて、肝心のライブですが。一曲目から、文字通り、口があんぐり開いてしまいました。ほぼ全てがオリジナル曲。にもかかわらず、そこにあったのは、難解さではなく、圧倒的な音楽そのもの。強靭で、自由で、繊細で、そして美しい。音が鳴った瞬間に、こちらの身体の中の何かが、すっと整えられていくような感覚がありました。大槻“KALTA”英宣さんのドラムは、圧倒的な推進力で音楽を前へ押し出しながら、決して乱暴ではなく、一打一打に意思と呼吸がありました。クリヤ・マコトさんのピアノは、知性と情熱、構築と閃きが同居していて、音楽全体の景色を大きく広げていました。納浩一さんのベースは、太く、深く、温かく、まさに音楽の大黒柱でした。その上で全員が安心して自由に飛び回っているようでした。以前 BEACH HAYAMA にもご出演いただいた納さんに、昨夜ご挨拶できたことも、とても嬉しい時間でした。しかもこの日は、納さんのTシャツを着て伺いました。我ながら、少しファン感が出すぎていたかもしれません。そして、太田剣さん。太田さんは、大学のジャズ研の一つ上の先輩です。学生の頃から、本当に素晴らしいプレイヤーであり、音楽に対しても人に対しても誠実な方でした。その太田さんが、その後も途方もない研鑽を重ね、今、あのステージで、あの音を出している。アルトサックス、そしてソプラノサックスの音が、鋭く、深く、そして美しく空間を切り開いていく。その姿を見ながら、才能のある人が、長い時間をかけて本気で音楽と向き合い続けると、ここまでの場所に到達するのだなと、胸が熱くなりました。それにしても。明日から自分が楽器に触るのを、少しためらってしまうほどの演奏でした。ニューヨークの Smalls のセッションに立つことを怖がっている自分が、少し情けなくなるほどでした。一流のプロフェッショナルが本気で集まると、音楽はここまで遠くへ行けるのか。そのことを、真正面から見せつけられた夜でした。もちろん、セッションにはセッションの学びがあります。人と音を合わせること。場に慣れること。瞬間に反応すること。それは、とても大切です。でも昨夜のように、本当に素晴らしい音のシャワーを全身で浴びることは、また別の意味で必要なのだと思いました。サックスを再開して、1年半。まだまだ思うようには吹けませんし、理想の音には遠く及びません。それでも昨夜は、しみじみと、再開してよかったなあと感じました。こんな夜に心を動かされ、こんな音に憧れ、また楽器を手に取りたいと思えること。それだけでも、十分に幸せなことなのかもしれません。上手くなりたい、という気持ちのさらに奥にあるもの。自分は、どんな音を出したいのか。どんな音楽に、少しでも近づきたいのか。何を目指して、これから楽器を吹いていくのか。そんなことを、改めて考えさせられました。BODY & SOUL という場所に流れてきた長い時間。京子ママが守り続けてくださった灯。そして、昨夜ステージの上で鳴っていた、凄まじいほど美しい音楽。大槻“KALTA”英宣さん、クリヤ・マコトさん、納浩一さん、太田剣さん。このような演奏を目の前で聴かせていただけたことに、心から感謝します。昨夜は、ただライブを聴きに行ったというより、日本のジャズが積み重ねてきた時間と、それを守ってきた場所と、その先端で今も燃え続けている音に、静かに立ち会わせてもらったような夜でした。
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横浜のジャズクラブでの演奏でした。
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海はしけているが出航した
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Nicaの本を入手しました。
1万円近かった。
An Intimate Look at Jazz Giants
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