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やんちと出会ったのは9歳、小学3年生。あの頃の僕は、「将来の夢:給食のおかわり係」みたいな純度の高い少年だった。普通なら距離を置く。しかし僕はその瞬間、「あ、こいつ…俺と同じ村の住人だ」と悟った。アホの波長が一致したのだ。アホ同士が出す周波数は、もはやイルカのソナーより正確だ。それから50年近くが経つ。人は変わると言われるが、やんちは良くも悪くもほぼ変わらない。もはや人間形態のまま成熟することを拒否した生命体と言っても過言ではない。だが、変わらないのは悪いことばかりじゃない。変わらない安心感というものがある。そういえば、僕らはお互いを高め合ったこともなく、励まし合ったこともなく、切磋琢磨の「切」も「琢」も発生した覚えがない。ただ、つるんでいただけだ。だが大人になって気付く。努力も演出もいらない“ただ居心地がいいだけの関係”こそ、実は最強なのだ。そんな宝物、大人になってからはそうそう手に入らない。そしてS君。高校時代からの仲間で、気づけばインドネシアに長期滞在し、連絡も減り、「古文に出てくる、存在だけ覚えてる登場人物」くらい遠くなっていた。ところが近年、僕がインドネシアに行く機会が増え、再会してみると、彼はあの頃のままの笑顔で「よぉ」と言った。まるで、前に会ったのが“10分前”だったかのように自然だった。この即時再接続能力、ほぼWi-Fiの自動接続だ。昨夜、その3人が久しぶりに揃った。渋谷の街は大人になった僕らにはちょっと眩しすぎたが、集合した瞬間、精神年齢は高校生へワープした。寿司屋で飲みながら、やんちは案の定、自分の話のオチを忘れ、S君は「インドネシアではな…」と切り出しては秒速で脱線し、僕は笑いすぎて涙でコンタクトが浮き上がった。そこから高校時代によく行ったラーメン屋へ。暖簾をくぐった瞬間、スープの匂いが僕の脳に強制リセットをかけた。18歳の僕が目を覚ましてしまったのだ。ただ一つ決定的に違うのは、ラーメンを食べ終えてすぐ“胃薬を探す我々”がいること。人類の進化とはこういうものかもしれない。退化かもしれないが。帰り道、ふと思った。男友達とは不思議だ。約束しなくても心が戻る。気を使わなくても笑える。沈黙すら心地いい。もはやこれは“人間関係のこたつ”みたいなものだ。一度入ったら最後、抜け出せない。人生は実に短い。責任だの仕事だのを背負い、気づけば体のあちこちが「保証期間切れ」みたいになっていくそれでも、9歳の僕も、18歳の僕も、50年分の僕も、丸ごと受け止めてくれる奴らがいる。その事実が、帰り道の胸の奥を温かくした。男友達なんて、大したイベントもなく、サプライズもなく、何かを語り合うわけでもない。ただ、寿司食って、ラーメン食って、同じ話を何度も繰り返すだけの生き物だ。だけど、そういう何でもない時間こそが、じつは人生の背骨みたいなものなのかもしれない。だからこそ、こんなにも長く続くのだと思う。そして僕は、やんちとS君がいてくれるこの人生を、ああ、悪くないな、と思えるのだ。
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日本にも美味しそうなタコス屋発見。
今度行ってみよっと。
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三連休のご予定は決まっていますか?
中日ですが、まだお席がございます。
ご予約お願いします。
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すごいネーミングだなあ
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タウンユースでは、New Balanceの900番台が好みです。
新しいグレーのシューズを購入しました。
気分上がります。
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太陽フレアの影響で日本でもオーロラが見えるそうです。
待機中
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サンフランシスコに到着した時間が、次の日本行きの飛行機の搭乗開始10分前でした。
すでに間に合わないとのことで、航空会社からは翌日のチケットが送られてきました。
そこをなんとかするのが腕の見せどころ。
入国審査を優先してもらい、荷物をピックアップして、再度チェックインして
隣のターミナルまでダッシュ。
締切数分前で搭乗完了。
CAはみんな知っていて、どうして間に合ったのだ〜と大勢に言われました。
とりあえず乾杯。
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まずはサンフランシスコに向かいます。
ところが、メキシコ出発が遅れて、トランジットの時間が1時間しかありません。
つまり、サンフランシスコに到着してから、
入国審査を終えて
荷物を再度チェックインして
ターミナルを移動しなくてはなりません。
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行き慣れたメキシコシティの居酒屋です。
この店がもっと小さい時から顔を出しています。
メキシコはマグロが美味しいですよ。
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メキシコはとても美しい国です。
すでに30回弱渡航しています。
治安は場所によっては悪化しています。
こんな警護を受けながら移動します。
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ベラクルス州の パパントラ という町の先住民トトナカ族の儀式です。20〜30mの高い柱の上から、ロープに結ばれた4名が鳥のように回転しながら降りてきます。雨乞いや大地の豊穣を祈る儀式です。
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移動移動では体が鈍ります。 体を動かします。
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ティファニー製
世界で4番目の大きさのステンドグラスです。
007の舞台にもなりました。
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たまには優雅に朝食を
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プエブラの街を歩くと、石畳の上にマリーゴールドの花びらがこぼれていました。 甘く少し切ない香りが、人々の記憶を呼び起こしていくように感じます。 広場では骸骨たちが笑い、カトリーナに扮した人々が音楽に合わせて踊っていました。 子どもたちは砂糖の髑髏を抱いてはしゃぎ、街全体があたたかい光に包まれていました。 ここでは死は悲しみではなく、再会の約束なのだと思いました。 夜になると、大聖堂の壁にプロジェクションマッピングが映し出されました。 光と音が重なり合い、建物全体が呼吸をしているようでした。 亡き人への祈りが、色と光の波となって夜空に溶けていくようでした。 死者の日は、この街だけでなくメキシコ全土で祝われています。 家族が祭壇を飾り、亡き人の好物を並べ、再会を喜ぶ。 死は終わりではなく、生の延長であると語りかけています。 私は、1年のうちに地球を十周近く旅する生活をしてきました。 コロナの前までは、年の半分から三分の二を途上国で過ごす日々を十年以上続けていました。 その後は出張の機会も減り、以前ほどの旅はできなくなりました。 それでも今回の旅では、久しぶりに昔の知人たちにたくさん再会することができました。 日本では、死は静かで遠いものです。 けれどこの国では、死は歌い、踊り、花とともに笑っています。 生と死が自然に溶け合い、どちらも同じ光に包まれています。 ここでは死は恐れるものではなく、生の影としての優しい存在です。 死者の日は亡くなった人のための日であると同時に、 生きている私たちが「生」を思い出す日なのです。 まもなくプエブラでの仕事を終え、旅はメキシコシティへと続きます。 この旅も終盤に差しかかりました。 けれど、光と祈り、そして懐かしい人たちとの再会が、 もう一度「生きる」という時間の意味を静かに教えてくれたように思います。 Es el Día de Muertos en México. La ciudad de Puebla está llena de actividad. Están celebrando el Día de Muertos.
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